1/2より


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いつから、手順の多い料理が、品数の多い食卓が、家族の健康を願い、家族への愛情を表現する術のように感じるようになったんだろう?

私にとってのシンプルライフとはにも書いたように
『“イメージや、思い込みや、憧れや、他人からどう見えるか…”などに自分の行動や毎日を操られないようにしよう』
と、自分ではすでに十分考えて分かっているつもりになっていたのになぁ。

少ない品数でも心を込めて作り、1日とか1週間などのスパンでバランスよく栄養がとれて、家族で美味しく食事を食べる時間を過ごせれば…十分豊かな食卓だと頭では分かっていたのに!
 
どこかそれらは、腑に落ちないというか、気持ちが後ろ向きというか、手抜きを正当化するためのロジックのような気がしていました。



でも、『一汁一菜でよいという提案』という本を知り、(中身はまだ読めていないものの)そのレビューを読んで、改めて毎日の普段の食事について考えたところ、とても肯定的に日々の食事をもっと潔くシンプルにしようという気持ちが湧いてきました。

今までも、朝ごはんやお弁当はある程度パターン化して、それに対応する常備菜を作っておく…など
無理せず、気楽に食事の用意にあたってきたつもりだったけど、夕飯にはまだまだ勝手な思い込みも残っていたし、自分に対するハードルを高く掲げたままだったなぁと。

もちろん、あれこれ作る余裕がある日や作りたいと無理なく思える日、また、お祝い事やイベント時には、喜んでいろんなおかずをテーブルに並べたいですが
基本は、ご飯、汁もの、おかず1品、以上。
のシンプルな献立でいこう。

そうスッキリと決められたことがうれしい。



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はじめましてのご挨拶にも書いた通り
食事作りでも掃除でも洗濯でも、どんな家事だって、それにあたっている時間、
家族のことを思ってキッチンに立ち、掃除機をかけ、服を畳んでいる時間、
それらの時間そのものに私の生命力のようなものは注がれていて、すべては愛情表現であり命のリレーであると思っています。

なのに、育った環境の影響か、なぜか夕飯作りは特別枠に入れて
『なるべく品数は多く…!』というちょっと負担を感じるところに自己満足できるポイントを置いてしまっていたな~。

手を抜くことと選択的にそれにかける時間や労力を抑えることは違うって。

分かっていたのに不思議だなぁ~。

やっと夕飯作りに対してもシンプル化することが私にとって価値があると、実感を伴う理解とともに考えを整理できた気がします。
 

紹介文やレビューを読む限りは、私が思っている以上に粗食を薦める内容のようですが
そこは我が家流にアレンジして、食べざかり育ち盛りの子どもたちや夫も、味とボリューム的には満足出来て
かつ
私も日々の食事作りにかける労力と時間は今より抑えつつも
「家族のために栄養のバランスの取れた美味しいと思ってもらえる食事を用意したい。用意できる自分でありたい」
という気持ちを満たす、ちょうどいいポイントを探っていこうと思います。



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今まで、なんとなく「もっとこうしたいな~」と思いつつも、スッキリと考えや感情が整理されず行動に移せなかったことが、ちょっとした外からのきっかけでパパパパーッと筋道が立ち思考が整理されて日々の行動を変えていけるのは、とってもうれしい!

私が本や文章や言葉が好きなのはそこなんだと思う。


良い本って、シンプルなタイトルだけでもこんなに人に影響や気付きを与えるのね…と感動しています。

すでに読まれた方のブログなどでのレビューを読んでいるだけでも、グッと来るものがあって…
久々に私もブログを更新しました。