土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』
今いちばん読みたい本です。 
 
 
 
別の本をアマゾンで購入する際に知ったのですが、まずタイトルにとても惹かれました。
 
ここ最近、福岡でも野菜がとにかく高くて、思うようにおかずが作れないことにジレンマを感じていましたが
(値段が高くても今まで通り必要な種類と量を買えばいいんだろうけど…
鮮度もいまいちのものをこれまでの3倍近くのお金を払って購入するのは…
なんだか損してるようで気が滅入って。損なんかしてないのにね。笑)
 
一汁一菜が基本
 
と考えたら、調理のハードルだけでなく買い物のハードルもとても下がるなぁと。
 


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うちの母も私が小さいの頃から働いていました。
 
3つ年下の弟が中学生になった頃からはフルタイムでの仕事に就き、今の私の帰宅時間よりも遅くまで忙しく働いてきましたが、毎晩19時には何品ものおかずが並ぶ食卓を用意してくれていました。
 
娘の私も含め、弟も、夫である父も、みんな家事を全然手伝わない大バカ者揃いの家だった為、母が一人で台所仕事も切り盛りしていたものだから
今思うと、『マーボー豆腐の素』などのレトルトの調味料や、時には小鉢は買ってきたお惣菜…
ということもあった気がするけれど
いろんな種類のおかずが並ぶ食卓が用意されていることが当たり前。
そんな環境で子ども時代を過ごし、私は自分の家庭を持つまでに育ちました。

なので、そのいくつものおかずが並ぶ食卓の光景が、私にとって「夕飯とは…?」と思いをめぐらす時の原風景に。

そしていつの間にか、“数種類のおかずを用意する”ということが
『うん、今日は母としての役割も思うように果たせたな~♪』
と、その日の自分を振り返った際に、自己満足できるかどうかのバロメーターの一つになっていました。 



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母が用意してきてくれた実家での環境がなくても
なるべくいろんな食材を使って品数多くバランスよい食卓を用意するのが
良い妻であり、母であり、心身ともにキレイな大人の女性がしていることであり
共に暮らす家族への目に見える愛情表現だ……

というような強迫観念のようなプレッシャーのようなものを、何気なく目にするテレビや本やネットなどの情報から受け、いつの間にかそれが当たり前のハードルとして自分の中に設定されてはいませんか?

私の頭にはいつからか、まんまとそのハードルがデーンと我がもの顔で居座っていました。

特に今は、インスタグラムなどのSNSで
“普通の主婦”のはずの方なのに、とんでもなくハイクオリティーのお料理がズラリと並ぶ食卓を苦も無く毎食用意されている様子
などを垣間見れちゃうので、余計に自己満足できるかどうかのハードルがあがってしまっているように感じます…。


だから、それなりのものを用意できる時はいいけれど、出来なかった時は
『ごめんね~今日はおかず少なくて…』という申し訳ない気持ちや罪悪感を勝手に抱いては
勝手に自己嫌悪に陥ったり…なんてことが起こっていたのかと。



2/2へつづく