家族を持ってしばらくしてからのこと。

家族のお世話や家事に自分の時間のほとんどを捧げ、子どもたちの健やかな成長のために良いだろうと思うタイムスケジュールで暮らすことが当たり前になりつつあった頃。

私はもう人生の主役じゃなくなっちゃったんだなぁ…
という漠然とした不安と不満と悲しみに襲われたことがあります。


自分のためだけに時間と体力とお金を使って、自分が喜ぶことを第一とした生活はもう昔のこと。

長男が4歳になるまでは専業主婦だったこともあり、妻に、母に、なったのだから、"家族としての幸せ"のために生きることが、これからの自分に求められている役目なのだろう…
それはすなわち、世代交代してこれから現役の時代を過ごす子どもたちが主役の物語にとって、母親という自分はあくまでも脇役になってしまったということ。
もう主役になれることはないんだろうなぁ…。

そうぼんやりと考えては、暗鬱とした気持ちになったのでした。



***
何言ってんのかね…ほんと何にも分かっちゃいなかったんだなぁ。

その頃の自分を思い出すと、我ながらバカだったなぁ、時間がもったいなかったなぁ…。
と、今なら思えます。



人生とは、世間にただ一つの舞台が存在していて、そこに舞台そでからその時代に合った主役がとっかえひっかえ現れては束の間光を浴びるというものではなく、今を生きる一人ひとりの時間そのものだということ。

そして、人生は自分の生きる時間である以上、その物語の主役は、たとえどんなに否定したとしても自分しかいないんだということ。




当たり前で大事なことなのに、そのことがその頃の私は分からなくなっていたんですね…。

気づけたのは、出産後社会復帰してからのこと。
それは再就職して得た大きな収穫でした。



***
誰かが主役の物語に滅私奉公して脇役として出演しているつもりになって、自分にとって不本意なことは全てその主役から強いられていることだ…と、いつの間にかそう思うことが増えていたかつての私。


重度のアトピーと食物アレルギー、さらには喘息を持って生まれた赤子時代の長男のお世話に追われ、精神的にも体力的にも余裕のない暮らしをしていた当時の私は、今思うとかなり疲れていたんだと思います。

なにかと手がかかった長男のことを思うと、働きに出るにはハードルが高かったものの…専業主婦として暮らすことを選んでいたのは自分のはずなのに。

自分の時間どころか、疲れた身体と心を休める時間も満足に取れないことや、夫一人の収入に頼った経済的な制約のストレスから、どんどん他力本願になり、当時は小さな不満を募らせるばかりでした。


もっと手がかからない赤ちゃんだったら…
もっと自由に使えるお金があれば…
やりたいことができるのに。
もっと、たら、れば、のオンパレード。



思い返すと、自分が情けなく恥ずかしい思いと、家族に申し訳ない思いしかないですが…
一言で言うと、当時は何にも感謝が出来ていない状態で毎日を送っていたんだと思います。



2/5へつづく