life labo note

まいにちの暮らしをより楽しく快適に。
時間の使い方や家事、収納の方法を
一つ一つ考え自分に合った形に整えることによって
暮らしを豊かにしていきたいと思っています。
まいにちが暮らしの研究日和!

05192
GW後から右足が痛いと何度か訴えていた次男。

ひどい時には歩くのも困難そうに足を引きずることもあって心配していましたが、少し安静にしていると治まっていたので「成長痛」かなぁ?と様子をうかがっていました。

痛みが引いている時には、いつも通りに外で遊びまわっていたこともあり、本人が覚えてないだけでどこかにボーンとぶつけたりしたのかな、とも。


だけど月曜日の朝、またまた「かなり痛い」と言いだして。

外見に傷やあざなどはないのに、10日程の間に同じ場所を度々痛がるのはなんだか気持ち悪いし心配……ということで、整形外科を受診しました。 

すると、「単純性股関節炎」にかかっていることが判明。


かなり痛そうにしている時は、ほんとに治るの?と心配になりますが、この病気の治療法は『2週間ほど安静にする』 以上。
らしいのです。

なのに、7歳、男子、超元気タイプ、の次男はその「安静」ができないんですよね……。


痛くなってくると「ママ~痛い~」と泣きついてくるのに、 少し痛みがマシになると、遊びたい、走りたい、飛び跳ねたい。。。

「じっと静かにしていなさい」「学校でも休み時間は教室で静かにすごすこと」「放課後も家でゆっくりしていようね」
と何度言っても
「なんで~?」「ひま~!」「いやだ~!」
の繰り返しでイライラし困っちゃいます。


そんな訳なので、学校に報告して今週は登下校は車で送迎。
(ひどくなると学校を休ませたり、入院の必要が出てくるみたいです)
なるべく歩かせないように過ごしました。

来週末の運動会にでられるか?
来月の球技大会にでられるか?

時期が時期なので、少しでも早く完治に向かうよう必死です(私は)……。


もっと早い段階の最初に痛がった時に、すぐ受診して安静にしておけば今頃治っていたのかな。。。

運動会の練習がまったくできていなくて、残念そうな次男を見てると可哀想に。

超元気タイプの男の子なので、小さな怪我はしょっちゅうしています。
だから、まさか「足が痛い~」の訴えが、安静を要するちゃんと病名のあるものだとは最初は思いもしませんでした。

子どもが太ももを痛がり、外傷が見られず他に思い当たる原因がない時は、「単純性股関節炎」かもしれませんよ!

我が家の今回の経験がどなたかのお役に立てるかもしれないので……ここに記しておきますね。



   

【もっと子育てを気楽なものに】家庭や親による環境が子どもの性格や能力に影響を与えることはほとんどない、らしい  1/2
からの続きです。
0519



特に
「共有環境(家庭や両親による環境)が子どもの性格や能力、行動や心理に影響を与えることはほとんどない」
との説を知った時は、うなずくと同時に、ホッと親としての肩の荷をとても軽くしてもらった気がします。


心理学者のアドラー博士も
ガミガミと叱られ続けた者が、暗い性格になるとは限らない。親の考えを受け容れるか、親を反面教師にするかは、「自分の意思」で決めるのだから。
と言っていますが、親の立場として「こんな母でごめん……」と何度思ったか分からない私からすると、そう言ってもらえると本当に救われる思いです。

そして、子どもに良い影響を、良い環境を、良い教育を与えねば!と自らを追い詰めたり、できない自分に自己嫌悪するのは必要のないことだな、と。

自分たち親の影響に色濃く子どもが支配される
なんていうのは、とても傲慢な考え方なのかもしれません。


auのCMではないですが、正しいことよりも楽しいことの方が大切な時もあります。

親子の暮らし方も、どんなに良かれと思われることでも、家族で楽しく暮らすためには合わないこともあるかもしれないし、与えてあげたいものを思うように与えられなくても「こんな親でごめんね」と、自分を責めることはないなって思わせてもらえました。


もちろん、子どもたちに少しでも自分が今の自分に生まれて良かったと思ってもらえるように、私たち夫婦の子で良かったと思ってもらえるように、出来る限りの努力はするし
「遺伝的に向いていること」を見つけるためには、とにかく自分の環境を変えて経験や出会いを繰り返し、見つけていくしかない
このことに対する協力は惜しみたくないとは思いますが。



親にできること、親がすべきことは、ただただ目の前の子どものそのままの姿を受け入れ、肯定する。
彼ら本来が持って生まれた美点を信じる。

これに尽きるんだろうな。

とてもシンプル。
でも、時にとても難しいですよねー。


すてきで立派なお母さんの子どもへの素晴らしい働きかけを知ったりすると、つい自分と比べてしまって、子どものとの暮らしや子育てにおいて、プレッシャーというか、親として何をしてあげられるのかという焦燥感のようなものを感じてしまうこともあるけれど……

一緒に過ごす時間を楽しむ。
子どもの成長に望ましいことが習慣になるように導く努力をする。

それらを無理なくできたら、あとはもう
子どもを信頼する。

それだけでいい。

これからもし壁にぶつかることがあっても、このことを忘れずにいたいです。
(それだけってことが、器の小さい私にはきっと難しいことだけど……)



行動遺伝学、面白いですよ!
ぜひ冒頭で紹介した安藤先生の研究内容を読んでみてください。



アドラー博士の教えもうなずくことばかり↓







    

0519
今朝も6時に公園集合で仲間たちと野球の朝練に励んできた長男。
5時40分頃に起き出して静かに身支度し、私たちを起こさぬようこっそり家を出ています。

私と夫は夫婦の寝室で、子どもたちは子ども部屋で兄弟で寝ている我が家。
別室でのことなのに、やはり母はすごい!
子どもが起き出すとすぐに気付くのですけどね。(夫は爆睡。笑)

自分で起きて、学校前に楽しく自主練。
我が子ながら、すごいなーって思います。

私が小学5年生のころは……
うん、なんの記憶もないくらい、何にも頑張っていなかったなぁ。

今までは一人で朝走っていたのですが、昨日からは友だちを誘って2人ですることになった朝の自主練。
今朝は、昨日の話を聞きつけた別のお友だちも「楽しそう!おれもやりたい!」と加わり、総勢4人でがんばったそうな。

良い流れにひょいっと乗る。
それもすてきなことだけど、良い流れを自らも作りだせる人に。

そう願っているので、長男が周りのお友だちにも良い影響を与えているのだとしたら、とてもうれしく思います。
私にはない、長男の彼らしい良いところ。


***
行動遺伝学について一時期ハマり、あれこれ読んでいました。

詳しくは
安藤 寿康
SBクリエイティブ
2016-12-06


などを読んでもらうとして……


本当にざっとですがまとめると、以下のようなことが科学的にわかっているそう。
◆知能を含む人間の能力は、遺伝の大きな影響を受ける。
それぞれの形質における遺伝が占める割合は
・身体面では体重と身長、指紋のパターンが90%以上
・性格面では開拓性と勤勉性が50%以上
・神経質さや外向性は40%以上
・才能面では音楽センスが90%以上
・執筆能力、数学センス、スポーツセンスは80%以上

◆子どもの頃は、知能、アルコールやタバコの物質依存などの形質を除けば、共有環境(家庭や両親による環境)が、性格や能力、行動や心理に影響を与えることはほとんどない。
(出典:「知能は遺伝する」を行動遺伝学が究明
◆「遺伝的に向いていないこと」で努力しても、大きな成功は難しい。

◆「才能がない者がいくら努力しても、それが実を結ぶことはない」と科学的に結論。
とはいえ、どんなに遺伝的に恵まれていても、後天的なアクションなしに才能を開花させるのは困難。
学力や知能、才能が遺伝に左右されるというのは、あくまで全く同じ条件で勉強や教育、努力をしたときに、どれだけの結果が出せるのかという意味。
後天的なアクションが全て無駄になるわけではない。
(出典:最先端の行動遺伝学が示す「希望ある生き方」とは

これら「親の遺伝子次第で子の人生も決まる」という発想を否定してくれる「遺伝は遺伝しない」という安藤先生の説には、とっても救われます。

遺伝というのは、親に似てって意味ではなくて、生まれ持って、という意味ですよ!
(詳しくは本を読んでください~!)


子どもたちの好ましくないところ、欠点と思われるところは、大抵私に似ていると思われるところなので、そういった言動を目にすると、残念で申し訳なく、時には悲しくなったりすることはしょっちゅうなのですが
良いところは夫婦のどちらにも似ていないなと思うことが多くて、不思議だなーって感じていました。

なんだかよく分からないけど、子どもたちそれぞれが持って生まれた彼ら本来の美点なんだな、いいなー、ありがたいなーって。(親バカですけどね)

子どもたちと暮らす中で、常々そんな風に思っていたので、上に書いた行動遺伝学の考え方はとても頷けるものでした。


2/2へ


平日は5日間フルタイムで働いていますが、就業時は制服着用です。
なので、私服は週末用。

私の身体は一つなので、極論から言えば、各季節に合った服が2セットずつあれば、事足ります。


おしゃれを楽しむこと自体やおしゃれな人は大好きですが、私はおしゃれが苦手なので選択肢は少なくていいです。

潤沢な予算があれば、すてき!と思った服を片っ端から買えていいのでしょうが、もちろん我が家の予算はそうではないので。
(ハイブランドからプチプラのものまで、いろんなアイテムを上手に組み合わせてファッションを楽しんでおられるおしゃれさんに猛烈に憧れますが……どうにも私には難しすぎる。
ファッションもスポーツや楽器と同じで生まれ持ったセンスが大きい気がする……)

あれこれ重ね着したり、アイテムをいろいろと使って……というおしゃれ上級者のようなことは一切できない。
ナチュラル系の服を着るとまんまと小汚い中年主婦に見えてしまう……。

以上のことも分かっているので、クローゼットにはすっきりと一枚で着られるきれいめな雰囲気のお気に入りが数枚しかありません。

シンプルかつスモールクローゼットかと。



可愛いな、すてきだな、と思っても、そこの服を着ている人をおしゃれだなってうっとり見ることがあっても、例えばA&SやYAECAのお洋服は、「わぁ~♡」と手にとり、試着してもやはりしっくりこない。
というか、全然似合わない。。。涙。

見る分にすてきなものと、自分に似合うもの、自分らしく見えるもの、はちがうこともこれまでのお買いものから学びました。

なので最近は、買い物に失敗しなくなったし、自分に似合うテイスト、デザイン、素材が分かっているので、「選ぶ→試着→お買い上げ」までにかかる時間もかなり早いです。

自分で言うのもなんだけど、私はきっとかなりいいお客さんだと思う。笑。
ほとんどがお気に入りのブランドやお店を訪れて、数分以内にサッと買うことが多いので。



気に入って買った服は、大事に着回します。
なんせ枚数が少ないので、会うタイミングによっては
「あいつ、いっつもおんなじ服着てるな」と思われているかもしれません。

だけど、それでいいと思っています。

その服を着ている自分の雰囲気を自分が好んでいるのだから、その格好、そのテイストの姿が強く印象付くのは私にとって好ましいこと。

清潔感があって、TPOに合っていれば良しです。




ハンガーは去年、マワハンガーに統一しました。
基本はエコノミック。
夫も使うので、サイズは40cm。
色はホワイトに。



コートやジャケット用には、ボディフォーム。
こちらはサイズが38cmか42cmしかないので、42cmにすると私の服には大きいと思い、38cmに。


スカートとパンツ用には、クリップハンガーを。 



あとは、夫のパンツと私のストール用に、シングルパンツを。


以上。
4種類を愛用しています。


クリップハンガーはマワハンガーにすることなかったかなぁ~とも思いますが、このハンガーはほんとかさばらないので、統一することでクローゼットに余裕なスペースがかなり増えました。

メリットの滑りにくさが、逆にハンガーから服を取る際にあだとなることがたまにあるくらいで、他に特に不満はなく、洋服が型崩れしたりずり落ちたりしないので気に入ってます。


   

【感情を滞らせない】心持ちは流れる川のように 1/2
からの続きです。 


以前は、イライラやモヤモヤなどの負の感情をしつこく手元に溜めこんでは、ずっとしんどかったり、自己嫌悪に陥ったりしていました。 

それが、まぁいっか!どうでもいいや!といい加減になれたり、流せるようになれたのは、歳を重ねて自分の性質や性格を、自分で理解し受け入れられたこと。 
それと、一番素の状態というか、無理したり、繕ったりせず、楽に自然に過ごしている時の自分を家族が受け入れてくれていることが大きいです。 

暮らしの、人生の土台となる家族が、自分が一番楽で生きやすい姿を、欠点や好ましくない面も含めて受け入れてくれている。 
このことが、こんなにも自分を強くしてくれる支えになるとは……! 
すごいなぁって思います。 

圧倒的に大切なものがあると、本当に楽ですね。 
▼関連記事▼
誰だって、みんな誰かの"大切な人"
圧倒的に大切なものができると人は強くなれる

「譲れないもの」と「それ以外」に分けやすくなるから、どんどん寛容になれる。 
大昔から宗教が支持される理由はこれか、と分かる気がします。(私は無宗教ですが) 


だから、いつも私の心の中の天秤の片側には「家族の健康と幸せ」がのっています。 

職場など家族以外との人間関係で、イライラしたりモヤモヤすることがあっても 
「いや、私には私を受け入れ大切にしてくれている家族がいる。 
その家族がみんな今日も元気で、だれも大きな困難を抱えていない。 
その幸せとありがたさを思えば、それ以外のことはまぁどうでもいいな」 
そんな風に思えます。 

簡単にはそう流せないような時でも、私は根は心配性のマイナス思考なので 
「もしも家族にもう会えなくなったり、彼らが病気や怪我に苦しむことになったら……」 
そんな想像をするだけで、その時に抱えるであろう辛さややるせなさを思えば、やっぱりそれ以外のことは極論から言えば「まぁいっか!」となります。 


家族に対してのイライラやモヤモヤは、それこそ「点」でのこと。 

家族が私に対してそうしてくれていることのように、私もそれぞれの欠点を含めて彼らを受け入れ愛しています。 

そして、長い時間を一緒に過ごしてきた中で、彼らの良いところ、愛おしい面をたくさん知ってきました。 

だから、もしもイライラモヤモヤすることがあっても、そんな面や言動が、彼らの全てではないと分かっているし、ぶつかったりケンカしたとしても、そんな面を含めて、彼らの存在そのものが愛おしく思えます。 
(もちろん、怒鳴ったり怒ったりはするけどね) 

世の大半の母たち(妻たち)は一緒でしょうが、腹立たしかったり憎らしく思うことも大事に思うからこそ。 

だからこそ、「点」でイライラしたり怒ったりすることがあっても、彼らそのものを否定したり、過ぎた時間にまでその感情を引きずるまでのことはないですね。 

「元気でいてくれたらそれだけで。さらには幸せを感じてくれていたら……」 
どんなイライラやモヤモヤも、この圧倒的な願いの前ではちっぽけなもの。  


ちなみに、家族とぶつかったら、私は敢えてお互いに落ち着いた時に 
「あの時のあれはなんやったん?」「私はこう思った。あなたはどう感じた?」 
とお互いに認識していた状況と抱えた感情を言葉にしてやり取りし、後腐れやわだかまりが残らないようにしています。 

夫とはもちろんのこと、子どもたちとも彼らが小さい時からずっと。 

さらにはお互いの言動がお互いの目にどう映っていたのかを言い合ったりも。 

その際は、ひどい言動をとってしまったならそのことを謝るのはもちろん 

「あの時、ママめっちゃ怒ってたね。顔真っ赤やった。ブスかった~!笑。」 
「Uちゃんこそ、なんか逆ギレして訳分からんこと言ってたけど、あれ、自分でも言いながらヤバ~!って思ってたやろ。最後しどろもどろやったで。泣きそうやったやん。吹き出しそうになったわ!笑。」 

なんてことも言い合うのですが、コレ、ぶつかった後はお互いに感情的になったことを恥ずかしく思っていたりするので、それを笑い話にできてオススメです。 

我が家の男子たちにイライラだった昨日の朝。
だけど、あんなにイライラした朝のあれこれも、職場で一息ついた頃にはもう過ぎたことになっていました。

イライラした原因は三者三様いろいろでしたが、職場でまで引きずったり、イライラを抱えたまま仕事中も過ごすまでもない話。

まぁ、今回のことは本当にしょうもなくてちっぽけなあれこれが原因だったわけですが、大抵のイライラも実はつまらないことが原因の「点」での状態のことが多いですですよね。


イライラだけでなく、大変なことも、辛いことでさえ、少しあとから振り返って見ると、なんてことないことだったり、懐かしく笑えたりさえすることがほとんどだと、これまでの経験からもう分かっています。

だから、イライラしてしまうことは仕方ないにしても、その場、その状況を離れたら、その感情も過去に流して手放したいなって思います。

インスタグラムにも書きましたが
ため池に黒い絵の具を落とすとどんどん水は濁っていくけれど
穏やかに流れる川に落としたら、濁る間も無く水は澄んだまま。

感情もそうでありたい。
心持ちは流れる川のように。。。
こんな風に心がけています。

(でもなんか、こんな風に言葉にするとすごく「人間の出来た人」みたいですよね。。。
実際の私は全っ然出来た人ではなく、むしろ人格的には未熟そのものなので、考えを言葉に、特に短い言葉にする難しさを感じます……。ついきれいにまとめようとしてしまう~。。。)


この心がけは、聖人君子的なものを目指して清く正しい心からそうしようと思っているのではなく、私が昔に比べて
"どんどんいい加減になっているからできるようになったこと"
というのが大きいです。

「まぁいっか!」「どうでもいいや!」

って思うこと、思えることが、歳を重ねるにつれてどんどん増えています。
そして、そうできることがなんと楽なことか!


元々、喜怒哀楽が激しい性格なので、イライラ!とかムカムカ!とかモヤモヤ!とか、そういった感情は瞬発的に感じやすいのですが、もうそれは仕方ないこと。
自分のそういった面は受け入れています。

なるべく穏やかでいられるように努力はしていますが、今さらめったなことではイライラしない、怒らない、落ち込まない、温和な性格になることは難しいなって思うので、感じる感情には蓋をせず、だけど溜めこまない、流すように。。。
それを心がけている次第です。

感情的な面は、感情豊かで感受性が強いとも言えるので、私の良いところでもあるし、どんなものにも一長一短がありますから。


2/2へ続く


    

昨秋に行ったリノベーションの記録その③です。

つり戸棚を撤去し、カウンターを取り替え、天井にはベニヤを貼ったことでダイニングからの眺めはずいぶんと変わりました。

またキッチン側からの眺めも解放感が出て明るくなったので、リノベをして良かったなと思っています。


キッチン本体は触っていません。

ステンレストップのオーダーキッチンに憧れますが、そんな予算はまったくないので、今のキッチンに寿命が来て取り替えを検討する際に、もう少し好みの雰囲気にできたらいいなぁと思っています。

現状は、とにかくローコストで建てた家のため、INAXのごくごく普通のシステムキッチンがついているだけです。

ただ、今回のリノベで食洗機を取りつけました。
(うちのキッチンに取り付け可能だったものはパナソニックのもののみだったので、それに。海外製品は予算オーバー!)

インテリアのこと、リノベのこと、基本的に夫は私にお任せにしてくれていますが、今回リノベをするにあたっての彼の唯一の希望が「食洗機を導入する事」だったので、そのように。

しつこく「え~?必要~??」と渋っていたのですが、導入して約半年。
もう今では食洗機のない暮らしは想像もできないくらいお世話になっています。笑。

自分で言うのもなんですが、私、食器を洗うのは手早いので、かかる時間自体は10分も違わないと思うのですが、拭く作業がいらないのが大きいし、食器を洗う時間帯って朝のなにかと忙しい時と、夜の少しでも早くゆっくりしたい時。
なので、そこでの10分の家事時間の短縮と、かける労力を他に回せるのは大きいです。

子どもたちも食器拭きのお手伝いにかかる時間が減ったのでうれしそうだし。
(拭くのは食洗機に入れられないもののみ、になったので。一緒にキッチンに立つ時間が減って、私はちょっと残念ですが。。。)



あとは、この機会にキッチンパネルだったコンロやシンク周りにタイルを貼りました。

これも最後までこのタイミングですべきか?と迷ったのですが、つり戸棚がなくなったことと、我が家の作りが玄関からキッチン横を通ってリビングダイニングに入っていく間取りのため、キッチンの内側がよく目につくので合わせてお願いしました。

それにしても、タイルを貼ると決めたら決めたで、サイズと質感、目地の色には散々迷いました。

当初はサブウェイタイルにするつもりだったのですが、なんだか我が家にはおしゃれすぎて照れてしまい……
小さなモザイクタイルはとっても可愛いけれど、きっと目地の掃除が大変だろうなと思われ……
なんだかんだで、正方形のオーソドックスなタイプに。

目地はしつこく最後まで迷ったけど、薄いグレーにしました。


このタイル張りの工事が一番最後だったのですが、仕上がった時は「やってしまった~」と余りの違和感に後悔しかけたのですが、数日すれば目も慣れて気に入りました。笑。

子どもたちも最初は「変~!前の方が良かったのに~!!」と言っていましたが、同じく数日で見慣れた模様。

おしゃれなおうちを見るとサブウェイタイルを使われていることが多く、まだ時々、サブウェイタイルにした方が良かったかな……と、実は思ったりしてますが(しつこい)
まぁ、我が家らしくてこれで良かったかなーと。


と、以上が昨秋のリノベーションの詳細です。

本音を言えば、リノベしたいところはまだまだ山のようにあるし、出来たら建て直したし、引っ越したい、としょっちゅう思ってしまいますが、それは現実的に今は難しいので……
少しずつ手を入れて、より住みやすく好きなおうちにしていけたらいいなと思っています。


   

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昨秋に行ったリノベーションの記録その②です。

キッチンカウンターの取り替えも、つり戸棚を撤去するのと同じくらいしたかったこと。

以前は濃い茶色でした。
色自体は床の色と合わせてのことで、まぁ、よかったのですが、仕上げに使われた撥水オイル?ニス?がツヤもので。涙。

テカテカだ~と、塗られてから気付いたけれど、やり直して!とは当時言いだせず……
これもどこかのタイミングでなんとかしたいと思っていたのでした。


最初は、モルタルのカウンターに憧れて見積もりをお願いしたのですが……高い!!!
キッチンそのものを取り外さないといけないかも……など、工事も大がかりになるとのことだったので、泣く泣く諦めました。
(モルタルのカウンターにした場合は、カウンター下に収納を新たに設けることはできなかったので、収納スペースを考えたら今の形にして我が家には良かったのかな……と今は思っています。。。)

でも、全面モルタルのカウンターは諦めたものの、モルタルの雰囲気はどこかに取り入れたい!

そんな思いから執念で探し出したのが、モールテックスというベルギー発の左官材。

リノベ関連をネットリサーチするうちに見つけたのですが
『1mm程度の薄塗りでコンクリートと同等な表面強度があり、曲げにも強く下地のたわみや動きが発生してもクラックが入ることがほとんどない』
という特徴を持つセメント系の薄塗り左官材です。

ちなみにお風呂場などにも使える水に強い性質もあります。
(いつかお風呂もモールテックスでモルタル床風にしたい!)

参照 
モールテックス公式販売代理店「株式会社オフィスTAKAHATA」
薄塗りで強度のある左官材 ベルギー『MORTEX COLOR』原田左官工業所


カウンター自体は木ですが、表面をモールテックス仕上げにしてもらうことでモルタル風になりました。

本物のモルタルに比べたらやっぱり質感がちょっと違うかもだけど……
まぁ、満足しています。



カウンター下の収納は、リノベの施工業者さんが懇意にしている家具屋さんにオーダー。

カウンターとの間に空間部分を作るか、全て扉にするか、かなり迷いましたが、全て扉にした際は結構な圧迫感になるだろう……と思われたので、このような形になりました。

白の塗装は FARROW&BALL社の塗料を使用。
マットなほんの少しグレーっぽい白で気に入っています。

収納内部には、ネット関係のモデムも納められるよう、右下の内部にケーブルとコンセントを設置してもらいました。
 
左側には毎日使う文具やパソコンなど細々したものをまとめて収納しています。
  
 


     

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リノベーションをしてつり戸棚を撤去しました。 
(今さらながらリノベ記録を。途中まで書いたままずっと放置していたものです……)

もうここ数年、ずっと希望していたプチリノベ。
昨秋にやっと実行に移せました。

数社に相談し見積もりを取りはじめたのが去年の年明け。
お願いする会社を決めて何をどうするのかを詰め始めたのが去年の今頃だったかなぁ。

そこから打合せが始まったわけですが、これがなかなか進まなくて。

お願いした施工業者さんはプランナーがお一人のためお忙しく、私も平日は仕事があるため他に予定のない週末しか時間が取れずだったので、なかなか詳細の詰めが進まない中のんびり取り組んでいたら、書籍製作が決まって……。

昨秋は、書籍製作とリノベの詳細の詰めや施工が同時期に重なってしまって、バタバタしていたことを懐かしく思い出します。


それはそうと、つり戸棚はこの家を建てた8年前になんにも考えずにつけてしまったもの。

つり戸棚がついていることで特に家事に支障があるわけでもないのに、まだきれいなものを取り外すのはもったいない気もしたけれど、キッチンをもっと解放感のある空間にしたい思いが年々強くなっていたため、えいっ!と実行に移しました。

ちなみに、入居してすぐの頃からつけたことを後悔していたので撤去を想定して、中には物をほとんど収納していませんでした。
だけど、やっぱり少しは一時保管的なあれこれを入れていたわけで。。。

つり戸棚を撤去することによってなくなってしまった分の収納スペースは、カウンター下に収納を設けることで補いました。


天井は触らないつもりでいたけれど、つり戸棚を取った影響でその部分だけ壁紙を張り替えると色が違ってきますよと。
差が分からないようにそこそこ広範囲を一緒に貼り替える、または、塗装にする、なども考えましたが、数年後に家中の壁や天井を塗装に変えたいなと思っていたので、このタイミングでキッチンだけを変えても中途半端になると思い、以前から良いな~と思っていた木の天井にすることに。

いろいろ提案はいただきましたが、シナベニヤが一番すっきりしていて見た目が好み、さらには安価と我が家にはいいとこ尽くしだったので、ベニヤ張りにしました。

リノベが終わってしばらく経って夫から「天井はまだ工事中みたいやね」と言われて「え?ベニヤの工事感ある?!」と驚きましたが、いいの。
私は気に入ってます。

夜でも明るさは、天井のダウンライトと換気扇のライトで足りるとは思いましたが、カウンター上を小さく照らすペンダントライトを下げたらかわいいかなと、ベニヤ天井のダイニング側の端を隠す形で照明のレールを取りつけました。


     

やっと花金ですね!!(死語。笑)
GW明けの5連勤、めっちゃ長かった~。
先週の日曜日はまだGWだったなんて信じられない。
あの9連休の日々は、まるで何カ月も前のことのようです。笑。


とにもかくにも、今週はしんどかったわけですが、そんなときこそやりたいこととやるべきことを自分でしっかりとコントロールして、まるで余裕な感じで暮らしたいと思ってしまいます。

それは別に「完璧に暮らす」ってことではなくて、どんな状況も楽しんで暮らすということ。
(そもそも完璧ってなんでしょう?妻、母、職業人としての務めを全て滞りなく果たすこと?)

忙しい状態、余裕がない状態を、ちょっと俯瞰して楽しむ余裕を持っていたいということです。


「忙しい」という言葉、私は努めて使わないようにしています。 
単に使わなくて済むくらいの忙しさしか経験していないだけかもだけど、忙しいと言いたくなる状況になったら、まずはそう言わなくていい状況にするべく工夫する努力をしたい。

とは言え、忙しいという言葉は使わなくても「大変」とか「バタバタ」とかついつい言ってしまうのですが、それって「私キャパが小さくて……」「容量が悪くって……」と宣伝しているのと一緒だと思うからです。
人にどう思われるかは横に置いておいたとしても、自分がそんな風に自分を扱いたくない。

私が好きで尊敬している方々は、みなさんバイタリティに溢れ、私なんかよりももっともっと忙しいのに余裕綽々涼しい顔で自分の人生を楽しんでおられる方ばかり。 

その余裕綽々を作るのは、日々の努力と心持ち。
それが分かるから、私は少しでもそちら側に近づきたいと思います。
(なかなか凡人には難しいのですが……)

すべての言動を選んでいるのは自分。
結局は自分が「どうありたいか」が自分の人生を作るのだと思います。

私の人生は「自分も家族も、今日も元気である」この一点についてのみから見るともう全てが奇跡で感謝しかないですが 、やっぱりもっとアテにされたいし、人の役にも立ちたいし、期待に応えたい。
自分にできることを増やしたい。

なによりも自分を好きになりたいし、いくつになっても少し先の自分に期待できる自分でいたいです。
(度々書いていますが、この歳になっても自分を好きだとは全く言えない。自己肯定感が著しく低いことを克服できないでいます、私……)


「忙しい」とことさらにアピールする事は、一見自分の価値を高めたり、なんだか人から大切に配慮してもらえそうな気になる行為だけど
それ以上に「今の状況以外のものを受け入れる余裕ありませんよ!」と周りの人だけでなく、自分にも言い聞かせてしまう行為。
楽しいことや成長につながることを拒絶する姿勢のように感じます。

物理的な距離やスペースの問題は、インターネットの技術があっという間に取り払ってしまいましたが、時間だけは大昔から全ての人にいつでも平等で一日はきっかり24時間です。

1分間のうちに人間ができることの差なんてたかがしれています。
だけど、意識を変えることでやっぱり何倍にも濃いものにすることはできる。

そのためには、自分自身が同じことに取り組むにしてもより効率を上げる必要があるし、なにより何をするか、しないかの優先順位を自分で決められるようにならないといけないですね。


家事や仕事は、何をしても何らかの役に少しは立つので、つい全てを意味のあることとしてとらえてしまいます。
だから、放っておいたらいくらでもやるべきことがでてきてしまう、自分を「忙しい」状態にもっていってしまう。

でも、そうやって時間を強く意識しないで、なんとなくやるべきことに思われることやできそうなことに時間を費やしていると、あっという間に一日、一か月、一年、一生が過ぎてしまいます。
それが怖い。

私はいつも効率と言っていますが、意味のないことをする時間が無駄だとは全く思っていなくてむしろ逆です。
ぼーっとしたり、一見意味のない時間をとる。
ほんの短時間でも、やるべきことではなく「やりたいこと」に時間を使う。

そんな時間が自分を豊かにしてくれるのだと思っています。

だから、そんな時間を取れるようにやると決めたことや、やるべきことには効率を求め、終わりを決め、区切りをつけ、ルーティン化できることはする。

(そんなこんなを書いています↓いきなり宣伝すいません。笑)

自分の選択した行動で忙しいのは、そもそも苦ではないですしね。
忙しいこと自体は悪ではないので。


漠然とした繁忙さにただ流され「あぁ、忙しい忙しい」と呟きながら不満と共に日々を過ごさない。

無理して、ではなく自然な生き様として、難しいことでもなんてことなく淡々と、楽しめるように工夫して 、いつでもしゃくしゃく余裕で暮らす。

実際は本当にまだまだまだまだだけど……
そんな格好いい人に少しずつでも近付きたい。
それがここ数年の私の目標です。


   

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